さくぱんは「衛宮士郎」の在り方が美しいと思う。
「衛宮士郎」の掲げる理想は「正義の味方」になることであった。
困っている人を助け、誰もが幸せに生きれる世界をつくる。というのが彼の理想だ。
しかし、「正義の味方」になるということは「悪者」がいるということ。
そして、「誰かの幸せの為に行動する」というのは「誰かを不幸にする必要がある」ということである。
「衛宮士郎」はそういった矛盾があるにもかかわらず「正義の味方」になることを諦めなかった。
一般論で考えてみるとわかるのだが「正義の味方」になる。「誰もが幸せな世界を作る」というのは無理である。
頑張ればできるかもしれない。なんてものはなく無理なのである。
例えばさくぱんは何故自分の成長の為に努力を続けているのか。
それは「正しい努力をすれば結果は必ず出る」ということをわかっているからだ。
僕以外にすでに結果を作っている人がいるからだ。だから必ず結果は出るとわかる。
人は正直「頑張ればもしかしたら結果を出すことができるかも...」なんて曖昧な望みで頑張れる奴は少ない。
そこに「必ず結果が出る」という確信があるからこそ動くのだ。
しかし、「衛宮士郎」は「出せるはずのない結果を追い求めて努力しているし、振舞いを行なっている」状況だ。
恐らく、僕も他の人も「結果は絶対にでない」と分かっているのに目指しているこの姿に共感できないのだ。
でも、僕はだからこそ「美しい」と思ってしまう。
僕たちは子供の頃、「絶対に不可能だ」と分かっていることでも全力で取り組んできたはずだ。
しかし、大人になり「絶対に不可能」と分かってしまったことに対してはやる意味もないと思い、やることはしない。
今の僕もそうだ。
例えば「人間が鳥のように飛べるか?」という答えは明らかに「No」だ。
人間と鳥はそもそも体の構造が違うし。
でも、僕は思えば小さい頃は「鳥が飛べるなら人間も飛べるはず」と言って羽を作っては何回も挑戦していた。
しかし、今は無理なことは無理と分かっているからそもそもそんなことはしない。
しかし「衛宮士郎」は本気で「正義の味方」になれると思っている。
僕はその諦めずに夢に立ち向かうその姿は「美しい」と思っている。
だから、「衛宮士郎」の在り方が気になるし、「 Fate」をもっと見てみたいと思うのだ。
僕はこれが「Fate 」の大きな魅力の一つであると思う。
さて、長く語りすぎてしまった。
また明日からの原稿を書くことにする。
それではまた明日( ̄∇ ̄)