非情だが世の中は「カネ」だ。カネで買えないのは「人の心」
結果から言うと僕ことさくぱんに今必要なのは「結果」だ。
どんな結果かというと「人、物、カネ」に準ずるなにかである。
例えばなんだが「自分の出身は北海道で最近東京来たばかりだから友達がいない!友達ほしい!」
という人にとっては「〜をしたら友達100人できました〜( ̄∇ ̄)」
というのが「結果」となる。
そしてその「結果」は友達を欲しがっている人達にとっては知りたい「情報」となり、その「情報」こそが自分の商品となる。
つまり考えるべきはその「情報」とはなにか?である。
ではまずこの世の中は一体なにが求められているのか?なにが「価値のあること」なのだろうか?
答えは先程も言ったが「人、物、カネ」に関係している「情報」にはかなりの価値があると見ていいと思う。
どうすればあんな「人」みたいになれるのか?
どうすれば「アレ」が手に入るのか?
どうすれば「稼げる」のか?
は誰しもが考えることのはずだ。
少し残酷なことを言うが、さくぱんはこの世の中の8割は「カネ」だと思っている。
「カネ」で物は買える。
「カネ」で地位、名誉を買える。
「カネ」で寿命を買える。(最高の医療技術を受けられるという点で)
基本「カネ」さえあれば解決できないものはない。
「カネ」で解決できないものは「人間関係」。
即ち「人の心」を買うことだけはできない。
だから僕は「カネ」のことと同時に「人」のことについても勉強している。
この2年、あらゆる人間に会ってきたが「人」はかなり難しい。
特に「女」のことなど未だにわからない。まだまだ修行不足だと痛感している。
話は脱線してしまったがそれくらい「人、物、カネ」の概念はこの世の中で価値のあるものだということだ。
つまり「人、物、カネ」が価値のある「情報」だとすればさくぱんが手に入れるべきは「人、物、カネ」に関する「情報」である。ということがわかった。
さくぱんは「カネ」が欲しいのに先に「カネ」を先に手に入れる必要がある。というのは中々皮肉の効いた話だ。
だからこそここで定義をしなければならない。
「どの程度までの結果」なら周りの人々はその「結果」を「価値のある情報」として受け入れてくれるのか?と。
そしてさくぱんはその定義を「自分の力のみで自分1人が生き残れるくらいのカネの手に入れ方」とした。
逆に言えばそれを達成した時、その「結果」は「価値のある情報」と認識される。
と思っている。
では次に「自分の力のみで自分1人が生き残れるくらいのカネを手に入れる」にはどうすれば良いのかになってくるのだがそれはまた次回話すことにする。
それではまた明日( ̄∇ ̄)